2023年8月19日土曜日

「宇合」は何と読むべきか

 霊亀2年(716)8月20日に正六位下藤原馬養は第8次遣唐使副使に任命された。同年8月26日に宇合は従五位下に昇叙した。ところがこの「馬養」は養老3年正月壬申条にも、そして養老5年正月壬子(5日)条にも「馬養」の名を発見する。

なるほど養老3年7月庚子条には「藤原宇合」とあり、官職名からしても「藤原馬養」が「藤原宇合」と同一人物である。従来の考えでは、遣唐使として唐に派遣された馬養がその名を恥じ、誤解されないように表記を変更したという。

なるほど吉備真備にしても、遣唐使として唐に派遣される前は「真吉備」であった。阿倍仲麻呂にしても、渡唐前では「阿倍仲麻呂」、唐滞在中は「仲満」であったので、必ずしも珍しい事例ではない。


私が問題としたいのは、

*「宇合」をどのように読んだか

である。「宇合」として表記は統一されるのは、確かに神亀元年(724)4月丙申(7日)条からである。

 だからとしても、「宇合」を「ウマカヒ」と読むべきだとする資料は見当たらない上に、「宇」の漢字を「U」と読むとしても、浅学にして「合」の漢字を「Makai」と読む用例を知らないからである。

それでは「宇合」は何と読んだか。そして「宇合」とはいかなる意味であろうか。


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