父は藤原不比等、母は蘇我娼子の子である藤原宇合の経歴に関しては、これまでの膨大な研究で進んでいるので、あえて再論を避けたい。
ただし、母が「大紫冠蘇我連右大臣女娼子」(『尊卑分脈』)であるかどうかは角田文衛氏が説くように、不明であると言わざるを得ない。例えば、『尊卑分脈』「藤氏大祖伝」記載の「武智麻呂傳」にはその母は「大紫冠蘇我武羅自古大臣女娼子」とあるのに対して、宇合の母の記述が見当たらない。
さて、この場で私論を叙述したいのは、
*藤原宇合がいつ太宰帥を命じられたか
である。まず、『続日本紀』天平9年(737)8月丙午条にある宇合の薨伝から解き明かそう。
丙午,參議-式部卿兼大宰帥-正三位-藤原朝臣-宇合,薨。贈-太政大臣不比等之第三子也。
とあるのみで、その享年や薨去した場所に言及していない。『懐風藻』には「年四十四」
時間足りない、未定稿
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参照
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