ある古代史研究者が最近発表された論文の中で、
「ミヤケは屯倉・三家・三宅」
とも表記されるという前提で、自説を展開された。
私の仮説は、3つの用字の中で
*三家は「ミヤケ」とも読み、「ミ+の+べ」とも読む
である。なるほど当然な主張として
*「大伴家持の『家』をヤカと読めば、三家もミヤカと読める」
そうであれば、古代史家の特有用語「通音」で「ミヤカはミヤケ」だと。たしかに「ミヤケ(ケの乙類) MIyaK ëであり、「ミ+ヤカ(家もしくは宅)」だとする通説に異論を唱えるものではない。
しかし、もう一つの読みの可能性をあえて提出したい。『倭名類聚抄』上総国の条に
周淮郡 : 山家[也万以倍(iF ë)]
とあり、また、南房総市千倉町には日本で唯一、料理の神様を祀った高家(たかべ)神社もある。つまり
Takai+iF ë⇒Taka+iF ë⇒Taka+B ë」
であると考える。そうであれば、
*三家=ミ(御・接頭語「ミ Mi」)+ B ë
⇒ 道 ミチ(Mi +ち)
⇒ 宮 ミヤ(Mi+や)
⇒ 「ミ(Mi)+ 一音節語」の図式
と読んでも奇妙ではない。
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