『周防国正税帳』に、
「部領使大宰府少判事従七位下錦部連定麻呂」
の名がある。前後の記事から判断して、錦部連定麻呂は防人を引率する役目を負っていた。天平10年のことである。
井上辰雄先生の教えでは、
*塩4斗(人別日)
とあることから推測して、約800人の防人を引率して、難波から大宰府に向かったと言う。
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