2024年4月25日木曜日

私の脳裏にある問いー「日本人とは何か?」(その2:出雲弁と松本清張「砂の器」)

 たとえ悪説とそしられようとも、

*ズーズー弁の出雲方言

の由来も、自説で説明したいと考える。

松本清張の『砂の器』の舞台設定に見る通り、ズーズー弁は西の出雲弁、東の東北弁に認められる。東条操や金田一春彦などの方言地図を指摘するまでもなく、東北方言の「飛び地」の状態で出雲弁が存在する。その言語現象を取り上げて、松本清張は推理小説のトリックに組み込み、出雲に犯人のルーツを求める。読者の知的見取り図の「盲点」をつく意外さを感じさせる趣向である。

 とはいえ、すでに浅井亨などの仮説によって、出雲と東北との海上交通によるつながりを推測することで、出雲弁と東北弁との近接性が説明されてもいる。

 私の仮説は、むしろ浅井らが説くように、海上交通による船の民の移動ではなく、東北地方から蝦夷の人々が出雲に移配されたからであると考える。当然の反論は、

1,古代日本において、蝦夷は日本各地に移配されたのに、なぜ出雲だけがズーズー弁か

2,出雲に移配された蝦夷の人々の言語が優越した証拠を提示せよ

などである。

0 件のコメント:

コメントを投稿