2024年4月25日木曜日

私の脳裏にある問いー「日本人とは何か?」(その1)

このあたりで、私の手の内を明かしても良いかもしれない。

なにも、秘密主義でもないからである。

常に私の脳裏にあるのは、「日本人とは何か」である。

次の記事に注目する理由も、この視点で分析したいからである。

*「陸奥国俘囚三百九十五人分 配大宰府管内諸国」(『続日本紀』宝亀 7 年 9 月 13 日条 )

* 「出羽国俘囚三百五十八人配、大宰府管内及讃岐国、其七十八人班賜諸司及参議已上、為 賤」(『続日本紀』宝亀 7 年 11 月 29 日条) 

つまり、「俘囚」(蝦夷)が東国から大宰府へ移配されたことからして、大宰府管内には古代から東国の蝦夷出身の人々が混住していた。

 周知のとおり、アジアのゲートウェイであった福岡には、朝鮮半島の人々や中国大陸・東南アジアの人々が来住して、日本人と混住してきた。それに加えて、かって異民族と言われてきた蝦夷の人々も福岡(大宰府)に来住して、いわばモザイク状に、あるいは坩堝状に混住していたと主張したい。 つまり古代日本において、国内が関東と東北地方の間に壁が存在し、一方は自民族(ヤマト)、他方は異民族(蝦夷)と対立していたのではなく、奈良朝から国策として、蝦夷が日本各地に移動させられて、その土着の人々と共存していたと考える。

 その自説を説明するために、本ツールを活用して、様々なトピックを取りあげながら、少しずつ記述していきたいと考える。必ずしも史実のみを展開するわけではなく、ときにはノンフィクション的記述とも化し、さらには逆に皆様に教えを請いながら、自説の補強を続けている。


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