昭島市史の記述に異議あり!
「帰化人が多く東国へ配属されるようになったのは、一つには畿内や近江に収容しきれなくなったという理由が考えられる。あるいはまた、未墾地の開拓のために集団移住せしめたのかもしれない。畿内から遠く離れた東山道・東海道の未開地に彼らを集住させることにより、荒涼とした原野が広がり人は稀薄という状態の東国を開拓させ、古代国家の強化をはかったのであろう」【395頁)【二 東国への移住】
この記述の一面性を疑う。この執筆者の視点は、定住・農耕民・稲栽培などであり、その意味では「未墾地の開拓」とか、あるいは「原野が広がり人は稀薄という状態」だとすることに異論はない。しかしながら、東国が無住の荒野であったわけではなく、そこには移動しながら狩猟採集民であった本来の「東国民=蝦夷民」が居住していたはずである。彼らは非定住民であったがゆえに、「未墾地」だと見えるのは定住農耕民の思い違いである。無住の荒野であったのではなく、わざわざ無住にすることで、そして荒野のままであることで蝦夷の民は豊かな狩猟採集を可能にしたに過ぎない。
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