先に大宰府ー平城京間の約640㎞(Google算出)を4日間で到達できるかという発問の下て、それに疑問を呈した。
そうしたならば、古代の健脚であえば、約600キロメートル(Googl算出)の多賀城-平安京間を6日間で走破したという実例があるという教えを受けた。
桓武天皇と古代多賀城間の通信は確かに6日から、遅くとも8日間で往来したと『続日本紀』に記述されている。
その距離であれば、
1)徒歩移動の概算
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距離:約600km以上
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1日の歩行距離:平均30kmと仮定
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所要日数:約20日以
2)マラソンペースでの走行時間
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距離:約600km
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平均ペース:フルマラソンの平均ペース(1kmあたり6分)
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計算:600km × 6分/km = 3,600分 = 60時間
距離:約600km
平均ペース:フルマラソンの平均ペース(1kmあたり6分)
計算:600km × 6分/km = 3,600分 = 60時間
この計算では、休憩や睡眠を含まない連続的な走行時間を求めている。
いずれにせよ、各街道の駅にフルマラソン選手と同等の運動能力を有する運び手が常時、多数配置されていること。
しかも海道はほぼ直線で平坦で舗装されており、ジャリ道など走行の障害がないこと
河川を前にしても、橋梁などで容易に渡河できること。その上で山間部の上り道もほとんどないこと。
さらに言えば、夜間の走行も可能であること、
走行中に補給の水や食料も完備されていること。
最も重要なのは、重要な知らせを送り届けなくてはならないという使命感の持ち主が、運び手にいること。そしてそれに見合う俸給が支給されること。
まだまだ多数あるが、長距離選手を育成するコーチの意見を参考にしても、あまりに否定的である。
日本古代史の先生方は全く疑問の余地もなく、史書通りに歴史を記述なさる。
それに疑問を呈するのは、まったくの邪道だろうか。