蝦夷語通訳の名は、從陸奥蝦夷訳語外從八位下物部斯波連永野外從五位下。
『日本三大実録』《卷39、元慶5年(881)5月3日庚戌》条に
○「授蝦夷訳語外従八位下物部斯波連永野外従五位下」
とある。
この物部斯波連は『続日本後紀』承和2年(835年)条に
「《承和二年(八三五)二月己卯【4】》
○己卯。俘囚勳五等吉彌侯宇加奴。勳五等吉彌侯志波宇志。勳五等吉彌侯億可太等。賜姓物部斯波連。」
とある。
つまり、物部斯波連永野はもともと蝦夷に属するので、蝦夷語を母語としていた。大和語は習得言語であった。蝦夷語と大和語との接触地帯であったので、永野らは外国語学校での学習も不要であり、あるいはピジン大和語であった可能性もある。
一方、小野春風は京方言の大和語で、蝦夷語を幼少時に学習した、いわば大和語-蝦夷語のバイリンガルであったらしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿