2025年6月21日土曜日

祟りの神、出雲伊波比神

 武蔵国入間郡に出雲伊波比神社がある。

住所

〒350-0465
埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5丁目17-1


また、同じく入間郡には、入間市宮寺にも出雲神社

住所

〒358-0014
埼玉県入間市宮寺1

がある。

武蔵野国における出雲系の神々の特長は、神社名に「伊波比=祝」とあったとしても、「祟る」と信仰されていることにある。

なぜ、武蔵国における出雲系神々が祟り、人々に災厄を及ぼすと信じられているのだろうか。そのロジックを解明したい。

英語では、「祟る」は

 ・curse

  ・haunt

  ・bring bad luck

  ・torment  or afflict

と翻訳されるだろう。

今、その理由は全く正反対の「神社名(祝い)と機能・シンボル(祟り)」に求められると考えて、以下の論を展開したい。

いずれにせよ、「祟る」に注目するならば、社会的・文化的な秩序や価値観を反映する象徴的な仕組みであると理解される必要がある。

「祟り」の文化的背景と意味

  1. 社会規範の維持装置
    世界の諸文化において、「祟り」は禁忌を破った者に対する霊的な報復として語られる。これは、共同体の秩序を守るための道徳的な抑止力として機能する。
  2. 死者との関係性
    日本を含む東アジアの文化では、「祖霊信仰」や「怨霊信仰」などとも呼ばれるが、死者との関係性を通じて生者の行動が規定される構造に注目する。
  3. 儀礼と再統合
    祟りを鎮めるための儀礼(たとえば御霊会や供養)は、共同体の再統合や癒しのプロセスに注目して、社会が危機を克服し、新たな社会的秩序を回復すると考える。
  4. 語りと記憶の継承
    story化された「祟りの物語」は断片的で無意味な社会的要素の組み合わせではなく、ある時代の歴史的な出来事や社会的な葛藤を象徴的に表現する手段であると考える


さて、ここまで文化人類学観点からの理論的検討を踏まえれば、古代武蔵国において独自の社会的秩序が形成されていたのではあるまいか。

やはり皆が思い浮かべるのは、『日本書紀』国譲り神話(神代下第九段一書第2)である。
 「天神、経津主神・武甕槌神を遣して、葦原中国を平定めしむ。 〔中略〕 既にして二神、出雲の 五十田狭の小汀に降到て、大己貴神に問ひて曰はく、「汝、将に此の国を以て、天神に奉らむやい なや」と。対こたへて曰はく、「疑ふ。汝二神は、是吾が処に来ませるに非ざるか。故、許さず」と。是 に、経津主神、則ち還り昇りて報告す。 

 高皇産霊尊、乃ち二の神を還し遣して、大己貴神に勅して曰はく、「今、汝が所言を聞くに、深く 其の理有り。故、さらに条にして勅したまふ。夫れ汝が治す顕露の事は、是吾孫治すべし。汝は以 て神事を治すべし。又汝が住むべき天日隅宮は、今供造りまつらむこと、即ち千尋の楮縄を以て、結 ひて百八十紐にせむ。其の宮を造る制は、柱は高く大し。板は広く厚くせむ。又田供佃らむ。又汝が 往来かよひて海に遊ぶ具の為には、高橋・浮橋及び天鳥船、亦供造りまつらむ。又天安河に、亦打橋造ら む。又百八十縫の白楯供造らむ。又汝が祭祀を 主 らむは、天穂日命、是なり」と。

 是に、大己貴神報へて日さく、「天神の勅教、如此慇懃なり。敢へて 命 に従はざらむや。吾が治 す顕露の事は、皇孫当に治めたまふべし。吾は退りて幽事を治めむ」と。乃ち岐神を二の神に薦め て日さく、「是、当に我に代りて従へ奉るべし。吾、将に此より避去りなむ」と。 」

である。

この稿は長大につき、以下は割愛。
続く。





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