2025年4月11日金曜日

上総国天羽郡讃岐郷の「讃岐郷」は、讃岐国から移住した人々の居住地か?

 大山喬平氏(京都大学名誉教授)を中心にした「ムラの戸籍簿」研究会は、2009年4月に発足した、「ムラの戸籍簿」(=各国ごとの「郷村表」「郷村名郡別世紀別初出表」)を作成し、その成果を共有・発信していくための研究会である。

その規模や壮大であるが、実に地味で、有意義な研究である。この企画に賛同する方々すべての労苦に感謝したい。

その中の一つである。上総国天羽郡に下記の紹介がある。


讃岐郷☆[
磐井里
天羽郡天平6.7.27734〔 〕【讃岐】石上部忍山年〈四九上総国天羽郡讃岐郷磐井里少初位上戸主石上部大島戸之口〉県-古p.157
65 正倉院文書

今このデータベースでは39歳となっているが、正確には49歳が正しい。これは誤りではなく、記入ミスに属する。

この記事はこれだけでなく、
「読経 法花経 一部
   最勝王経一部
   方広経一部

誦経 観世音経一部
   八名経
   多心経

陀羅尼 大般若陀羅尼
    仏頂陀羅尼
    虚空蔵陀羅尼
    方広陀羅尼
    十一面教陀羅尼
    金勝陀羅尼
    唱礼具
    浄行十年
天平6年(734)7月27日」

と続く。
さて、49歳の石上部忍山は仏道に10年励み(「浄行十年」)、数多くの経典を読破している。
ここではその経典への関心は別に譲るとして、我々が注目するのは、
‘*上総国天羽郡讃岐郷
である。つまり「讃岐郷」とある以上、讃岐国から上総国天羽郡へ移り住んだ人々を想定したい。想像を交えていえば、その人々は「秦氏」であったと考える。



    

0 件のコメント:

コメントを投稿