2023年12月18日月曜日

大宰帥の謎ーーその4:藤原浜成

 太宰帥であった藤原浜成の軌跡が奇妙である。浜成といえば、藤原不比等と藤原五百重との間に生まれた京家の藤原麻呂の子である。

浜成は桓武天皇即位直後に昇位しなかった一人である。その理由は、延暦元年(782)閏正月に発生した氷上川継謀反事件に求められるだろう。なぜならば浜成は氷上川継の義父だからである。すなわち祖母を同一にする藤原五百重が天武天皇との間に生まれた新田部皇子の子である塩焼王と、聖武天皇の子でである不破内親王との間に生まれた氷上川継の妻が浜成の娘・法壱である。桓武天皇を擁立した藤原式家(藤原百川など)と藤原京家との対立があったのは、事実である。こうした政治的背景にして、浜成が大宰帥に左遷され、その3か月後にさらに員外官にされ、しかも正員の三分の一に減俸された。

その直前に桓武天皇は員外官を廃する命令を下した。しかし桓武天皇はみせしめのように浜成をあえて員外官を命ずる。

ところで、大宰帥に左遷された藤原浜成が都にいる婿である氷上川継の反乱の謀議に加担したという桓武天皇の主張は憎悪の標的となった感を持つ。もはや無力化された浜成に追い打ちをかけるように、あらぬ嫌疑をかけて、浜成を貶めたと思われる。

 それほどに、天武天皇直系のプリンス浜成や川継に対して、百済人の血を引く桓武天皇の強い敵愾心であったと理解してよいだろう。

さて、私の関心は別なところにもある。桓武天皇即位の裏事情である。他の有料候補者を押しのけて、桓武天皇が選出された強い理由である。誰が最終決定者なのだろうか。






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