2026年9月2日水曜日

木簡「安倍庭女○都努稗田/石川尾張○安倍藤子∥○已上四人日料依命婦・宣所請如件」を読む

 「縫○御服所請/鯵壱拾陸隻/小鰯一升∥

○/安倍庭女○都努稗田/石川尾張○安倍藤子∥○已上四人日料依命婦・宣所請如件

○五月廿二日勝安麻呂\○別当史生阿閇」(平城宮推定造酒司宮内道路南側溝)https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AADOB15000104

この木簡のサイズなど外形的データはすでに報告書に記載されいるので、割愛する。

第1視点) 一次史料の文字列を正確に分解する(表記単位の抽出)

木簡の文字列は次の通りである。

○/安倍庭女○都努稗田/石川尾張○安倍藤子∥○已上四人日料依命婦・宣所請如件

まず、記載通りに、単位(語・句・行政語彙・人名・数量)ごとに分割したい。

   ①縫御服所請

    鯵壱拾陸隻

    小鰯一升

   ②安倍庭女

    都努稗田

    石川尾張

    安倍藤子

    已上四人日料

    依命婦・宣所請


   ③勝安麻呂

    別当

    史生阿閇


第2視点) 語彙の機能分類(行政語彙・人名語彙・数量語彙)

語群は次の三分類に整理できる。

1, 行政語彙

  御服所

  日料

  宣所請

  別当

  史生

  依命婦                                   

2,人名語彙

  安倍庭女

  都努稗田

  石川尾張

  安倍藤子

  勝安麻呂

  阿閇

3,数量語彙

  鯵壱拾陸隻

  小鰯一升

この3分類によって、 木簡が「何を目的として書かれた文書か」に見当をつけることておきたい・

第3視点)人名構造の分析(氏族名+女性名)

  木簡に登場する女性名:

  安倍庭女

  都努稗田

  石川尾張

  安倍藤子

 これを踏まえて、次に 氏族名+女性名 の構造で分析すると、次の通りになる。

    安倍+庭女(職名)ーー「庭女=宮廷雑役の女性」の業務からして、大和国安倍郡 

                の安倍氏に属する女性である可能性が最も高い。もしく

                は伊勢国安濃郡の安倍氏出身の采女

    都努+稗田(農地での栽培植物名)ーー周防国都濃郡都努氏出身の采女

    石川+尾張(地方の国名)ーー近江国石川郡の石川氏出身の采女か。近江系石川氏  

                  の一支族が、尾張国もしくは美濃国に居住していた

                  可能性を推測させる。

    安倍+藤子(藤原氏系の「子」)ーー同上

 ここで重要なのは、 女性名が一定の原理原則による命名を予感させることである。つまり木簡に投影された女性名体系と整合するシステムの発見へと続けられないだろうか。

 ところで、


②都努氏は、角・都奴・都濃とも書く。天武13年(684)に朝臣姓を賜った。

「国造本紀」に都怒国造は「紀臣同祖,都怒足尼児,田鳥足尼定賜国造」とあり,「古事記」孝元天皇段に木角宿禰は「木臣,都奴臣,坂本臣之祖」

さて、都怒氏は周防国都濃郡を本拠地とする氏族であったのは、『倭名類聚抄』には、

 8・国郡部第12・周防国第117・都濃郡・21丁表1行目        都濃郡   

とある。郡内には、 久米・ 都濃・富田[止無多]・生屋・ 駅家・平野・ 駅家は存在した(ただし、高山寺本には2つの駅家はなし)。




第4視点) 命婦の行政的役割の分析

木簡には次の文言がある:

已上四人日料依命婦・宣所請

これは、

  • 命婦が女性勤労者(庭女)4名の「日料」を

  • 宣(みことのり)によって請求した

という構造を示す。つまり:

◎ 命婦は「女性ワーカーの統括者」である

◎ 命婦は「物資支給の行政権限」を持つ

◎ 命婦は「氏族名を持つ女性名体系の上位階層」に属する

これは 命婦の社会的地位を推定する際の一次史料的裏付けになる。


第5視点) 構造モデル化(命婦の位置づけ)

木簡の構をモデル化すれば、次の通りである。

A,女性名体系

氏族名+識別マーカー(系譜・出身地・豊穣への祈り・職名など)

B,命婦の行政権限

女性ワーカーの統括 物資支給の指揮 宣による請求権限

C, 氏族名の分布

安倍 石川 都努

第6視点:欠字の復元化

 冒頭部「縫○御服所請」の1文字の復元の試みである。当時の役所は、縫司(ぬいのつかさ、衣服の縫製)・御服司(みふくのつかさ、宮内省系の天皇の衣服をめぐる物資の調達・製作・管理を担う専門的な実務組織)・造酒司・内蔵寮・主計寮・典薬寮などが存在していたが、その中の「縫司」を想定して良いに違いない。

 したがって、この木簡の目的は「「縫司・御服司の請求文書」であると推断しても構わないだろう。

ちなみに、御服司は宮内省に属する「被管官司」の1組織。宮内省の下には、天皇・宮廷の日常生活を支える多数の専門業務を主管する官司が存在した。

  • 大膳職……天皇・宮廷の食事
  • 主殿寮……宮殿・灯火など
  • 主水司……水・氷など
  • 縫殿寮……衣服の裁縫
  • 御服司……御服関係 など

「衣服」という一つのカテゴリーを、単一の官司が全部主管していたわけではない。袞冕 (袞冕十二章)・ 冠・衣・笏・袴・宝髻衣・帯・褶・裙・襪・舃・頭 巾(幞頭系)・衣・笏・袴・帯・襪・履 (浅沓)などの製作を担当したのが、御服司。ここで、御服司と縫殿寮の機能分担に関する説明は、割愛する。

第7視点:「服を作るための物資の流れ」

 いうまでもなく御服司で重要なのは「御服料」である。御服には当然、

  • 綿
  • 染料
  • 寸法測定器
  • 切断するハサミ類
  • クリーニング用の鏝

など、多様な原材料の調達が必要になる。したがって御服司を理解するために、従来とは異なり、

地方からの貢納品

中央官司での収納

御服関係物資としての配分品

製作

完成した御服

天皇・貴人などへの提供

という物資循環の中に位置づけたい。周知のとおり、律令国家では、地方から中央へ大量の物資が移動した。地方 → 国 → 中央へ物資が大量に平城京に流入する。その中には当然、衣服生産に関係する繊維原料も含まれる。したがって、

「地方から納入された物資が、中央のどの官司に入り、どのような帳簿処理を経て、最終的に誰のために使われたのか」

という疑問に直面する。換言すれば、

「物資の移動」ではなく「情報と物資がどう処理されたか」

である。従来の説明は、

御服司=天皇の衣服を担当する官司

であった。我々の観点からすれば、もう一段踏み込んで、

御服司とは、天皇の御服を最終目的として、繊維原料・製品・人員・労働を管理する宮廷内の物資管理機構の一部だったのではないか。

と考え、「御服司」は単なる服飾史の問題ではなく、律令国家の物資管理システムの問題へと移行する。これは次の諸点に直結するが、

① 御服司の職掌規定
② 御服司の官人構成
③ 御服料として何が支給されたか
④ 正税帳・調庸関係史料との接点
⑤ 正倉院文書に現れる御服司関係文書

の5点にしても、今後の課題として残されている。


第8視点)古代の紫草生産・調達地

ここで、すこしだけ「御服司」から離れて、寄り道をしたい。古代史料に頻出する「紫草」である。

『延喜式』民部省式下の「交易雑物」条から、次の数量が確認できる。

紫草数量現在の地域性格
甲斐国800斤山梨県交易雑物
相模国3,700斤神奈川県交易雑物
武蔵国3,200斤東京都・埼玉県・神奈川県東部交易雑物
下総国2,600斤千葉県北部・茨城県南西部交易雑物
常陸国3,800斤茨城県交易雑物
信濃国2,800斤長野県交易雑物
上野国2,300斤群馬県交易雑物
下野国1,000斤栃木県交易雑物
出雲国100斤島根県東部交易雑物
石見国100斤島根県西部交易雑物
合計20,400斤10か国

『延喜式』はこれらを「交易雑物」として規定し、正税をもって交易し、その運送費・食料も正税から支出する仕組みを記しています。したがって、9~10世紀の国家的な紫草調達の中心は、圧倒的に東国である。特に、

常陸 3,800斤
相模 3,700斤
武蔵 3,200斤
信濃 2,800斤
下総 2,600斤

が大きな供給地である。この5国だけで 16,100斤、全体20,400斤の約**79%**を占める。しかしながらこの数字は各国の年間生産量ではない。多くは『延喜式』に定められた交易・貢進数量であるだけに、「国家が把握・調達した数量」と表現するのが適切であろう。さらに大きな供給地――大宰府に注目したい。『延喜式』では、大宰府について別枠で、

紫草 5,600斤

と記述する。先ほどの10か国20,400斤とは別に、大宰府管内では5,600斤という大きな数量を国家が確保していた。さらに「年料別貢雑物」には、

  • 日向国 800斤
  • 大隅国 1,800斤

の紫草も見る。九州南部にも紫草供給圏が存在していた。

なお『延喜式』縫殿寮には御服料として、

紫草 10,307斤10両2分

 のデータが記載されているのも、この数字が御服関係に使用・管理される染料量だからである。

慧眼な士に不要だと知りつつも、あえて「紫草生産地」の地理的分布を提示する。

① 東国紫草圏

甲斐・相模・武蔵・下総・常陸・信濃・上野・下野

② 山陰紫草圏

出雲・石見

③ 西海道紫草圏

豊後・日向・大隅など

という三つの地域群である。これらの地地域から上進される「紫草20,400斤」が単なる「特産品一覧」ではなく、また日本国内の単なる自然産出量ではなくて、『延喜式』が要求する情報は

正税を使って交易し、国家が確保したい必要量

という制度である点、繰り返し強調しておきたい。

紫草の生産

地方での集荷

正税による交易

運送

中央官司への納入

染色

御服司などへの使用

という一つの国家的サプライチェーンの成立を強調したいからである。

第9視点:本木簡には、「縫○御服所」とあって、「御服司」とないこと

確かに

  • 「司」=官司

  • 「所」=部署・作業所(縫所・御服所など)

の違いを認める。木簡の下級官吏にとって、目の前の「縫所」「御服所」が言い慣れた用語であり、実感する官衙であったに違いない。とはいえ、この木簡の文脈では 官司名(司)+請求文言(請) の構造が妥当である。

ところで、本木簡は造酒司付近の溝から出土している理由は、木簡の内容が

   衣服関連(縫・御服)+魚類の調達+命婦の宣請 という複合構造。

であったので、縫司と御服司が共同で物資(日料)を造酒司に請求する文書の形式となっている。

第10視点:木簡全体の再構形

今、我々の考察のまとめとして、以下の再構形を提示したい。

(A)

縫司御服司請 鯵壱拾陸隻 小鰯一升

(B) 安倍庭女 都努稗田 石川尾張 安倍藤子 已上四人日料依命婦宣所請如件

(C) 五月廿二日 

勝安麻呂 別当 

史生阿閇



付記1)「○五月廿二日勝安麻呂」は「勝」(すぐり)の姓で判明するように、半島系渡来民の系譜を持つ。村主=勝に関しては、別稿で説明した。参照ください。

付記2)『木簡庫』を検索すると、次の通りである。

A)鯵

⇒下記の②「②「山田郡贄阿遅四」から「阿遅」(アジ=Adi)と読む。

①「・□□○蟹擁釼擁釼螺鯵鰯蛤甲螺沙魚□・□□□□□〔半臂ヵ〕□□□□□襖子袍帽子」(長岡京出土)

②「山田郡贄阿遅四→」(平城京左京三条二坊一・二・七・八坪長屋王邸)

⇒上端は切り込み部分で折れ、下も折れ。左右削り。山田郡は四カ国にあるが、阿遅の貢進国としては讃岐国または尾張国か。贄の阿遅(鰺)としては(摂津国)住吉郡交易のもの(『木簡概報二一』二九頁下段)と「阿除贄」と表記するもの(『同二五』二二頁下段)がある。また、阿遅の荷札としては、(讃岐国阿野郡)羽床里の例(『平城京木簡一』四四七号)もある。


B)鰯

下記の③から「伊和志」(いわし=(iwasi))と読む。

①「与射評大贄伊和→」(藤原京出土)

与射評は丹波国(後、丹後国)与謝郡。「伊和→」は伊和志か。『延喜式』では丹後国は交易雑物として小鰯腊一二籠を出すことになっている。

②「・縄紀□綢鯛鰯銭釘飯餅道有大舎人右十人正正□(第一面)・右大臣銭延暦□年七月十三日右釘廿五□○近江国蒲生郡(第二面)・□□行道今□〔琴ヵ〕蘭□〔年ヵ〕有□□〔前ヵ〕牧□□〔魚神ヵ〕成□○倉□□〔塩ヵ〕□(第三面)・□〔継ヵ〕縄(第四面)」(長岡京出土)

③「青郷御贄伊和志腊五升」(平城京造酒司地域)

贄の鰯貢進札。青郷は若狭国遠敷郡に属する(一九四八参照)。腊(キタヒ)は干物をいう。

④「備中国小田郡鰯□〔五ヵ〕斗」(平城京長屋王邸)

⑤「〈〉○□□□□□\○§鰯五十隻」(平城京長屋王邸)

⑥「周防国玖珂郡比志古鰯三斗二升」(平城京左京三条)

⑦「人給所請○鰯肆拾隻/海藻湯料/○四月十五日巨勢部諸成∥」(平城京)

右は「湯料」の右の部分に一部削った調整面をのこす。人給所は人々に食料などを支給する所か。SD一二五〇から「人給所」、SD四九五一から「人給」の墨書土器が出土している(四六頁、第11図参照)。また平城宮木簡にも「人給」と記すものがある(『平城宮木簡一』二〇四、『同二』二四九二)。『儀式』によれば、大嘗祭の時「人給所」が設置され、同じく北野斎場には「人給屋」が設けられた(儀式巻第二践祚大嘗祭儀上)。

⑧「・轆轤所請鰯陸□〔隻ヵ〕・○□○□」(平城京)

下折れ。正倉院文書には轆轤・轆轤工の史料が散見する(大日本古文書五-一九八・二〇三など)。主工署の轆轤所であろう。

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