2026年8月21日金曜日

『駿河国正税帳』に関する調査メモ

結論:駿河国正税帳は、国府が一年間に保有・運用・消費した財貨を、種類別・用途別・会計単位別に集計し、最終的に倉庫残高へ接続する総合会計帳簿

 すでに井上辰雄先生の名著『正税帳の研究』「駿河国正税帳をめぐる諸問題」(295~348頁)において、優れた先行研究があり、本エッセイは二番煎じにすぎない。しかしながら、井上先生と全く異なる分析視点から当該史料を読み解くことに本エッセイの価値があるとすれば、望外の喜びである。

① まず「人件費」から検討したい。

断簡1を見ると、

雑任国司目
国司史生
朝集雑掌
当年朝集雑掌

などについて、

始○月○日迄○月○日
合○日
食稲○束

と計算をしている。つまりこれは単なる「食料支給記録」ではなく、

在任期間 × 人数 × 日数 × 日額

によって計算された、極めて明確な人件費会計簿である。

たとえば、

去年任国司史生……合弐伯陸日
食稲百六十四束八把
〈日別八把〉

つまり、206日 × 8把 = 1648把

となり、完全に複式簿記ではないにしても、少なくとも単位価格×数量による計算会計簿となっている。

② 「現物購入」

断簡2は興味深い。

御履皮弐張直稲弐伯玖拾束
豉料大豆七斛五斗直稲七十五束
醸酒拾三斛料稲百八十二束
買塩七斗八升直稲二十六束
買伝馬十八匹直稲六千四百束
布二百段直稲二千束

ここでは、物品 → 稲価への換算が行われ、正税帳が「稲をどれだけ収納したか」だけではなく、

*稲を価値尺度として、国府が購入・調達した物品を評価する帳簿

であるといってよい。

③ 武器・軍装品の会計システム

断簡2ではさらに、

桂甲
大刀


組糸
錦絁
緋絁
綿

袋布
馬皮

と続くリストを掲載する。注目したいのは、単に「武器製造」と記述しないで、例えば、

一斤別充四束五把

一領別充四十斤

一具別充一斤十両二分四銖

というように、原材料 → 製品 → 単位当たり原価 まで管理していることである。換言すれば、正税帳が原価計算簿であるとみなしてても異論がなさそうである。


④ 「酒・塩」は独立した小会計

断簡3・4では、


醸加

〈雑用○○〉

そして、


買加

〈雑用○○〉

という構造が繰り返される。

例えば断簡4。

酒弐斗伍升七合
醸加弐斛
并弐斛弐斗伍升七合
〈雑用一斛五斗五升五合〉

つまり、

期首的な保有量+当年の増加=総量 → そのうち雑用

という会計構造である。『越前国正税帳』の記載方法と酷似しているので、これは中央官衙が作成したマニュアルもしくはフォーマットの交付なくしてツインになりえないと考える。

こうした中央官衙の厳格な指令を、

 1,地方官衙の役人たちが忠実さ

に求めるか、それとも反対に

 2,地方官衙の役人たちが無知で、怠慢だからのスパルタ式トレーニング

のいずれを想定すべきであるのか、現時点で回答は不可能である。多くの方々h「千差万別」だと回答をお寄せになるはずである。

⑤ 「出挙」の独立会計化方式

例えば、断簡4:

出挙参万漆阡肆伯束
〈債稲身死百姓四百五十七人免稲一万一千八十二束〉
定納本弐万陸阡参伯拾八束
〈利一万三千百五十九束〉
并参万玖阡肆伯漆拾漆束

計算すると、26,318+13,159=39,477束となる。つまり 

元本+利稲=回収総額の記載

である。しかも、

利稲13,159 ÷ 元本26,318 ≒ 50.0%

となり、ある意味では中央官衙からの要請に沿った、怠慢な地方の役人たちでも作成可能な「整備された会計簿」であるともみなせるだろう。あまりにもその数字操作が巧だからである。それだけに、

「五割利」という利益率は国家的な会計基準であるがゆえに、その数字以上の会計簿を作ることは、国司らの業務評価対象になる恐れを察知した

とみなして良いはずである。言い換えれば、50%以上の利益率を出することで、中央官衙からあらぬ嫌疑をかけられる可能性もあるために、数字の上限は不可欠であったにちがいない。なお、

   債稲身死百姓457人

免稲11,082束

という貸倒れ・免除を明示した上で、それでも元本と利稲を計算している。

ここは「出挙=単純な利殖」ではなく、リスクを織り込んだ国家的信用・財政運用を狙う官僚のアイディアを見たい。

⑥ 「正税」と「穎稲」

断簡4以降には、

都合定穀

不動

という構造を見出せる。

例えば、

定伍万壱阡肆伯拾弐斛肆斗陸升
不動肆万漆阡玖伯玖拾斛漆斗参升
動参阡肆伯弐拾壱斛漆斗参升

とある。つまり、定=総量を、「不動+動」に分解している方式は、現代版の

「ストック(蓄積情報)とフロー(流動情報)を完全に分離した管理システム」

の先駆けである。したがって、国司にとって、情報の循環モデルが明確になるとともに、

 フロー →(意思決定)→ ストック

 ストック →(参照)→ フロー

という循環を可視化することで、組織自体の会計簿への信頼性を高める仕組みとなるとともに、不正防止にもなっている。

⑦ 「振入○○斛」は加算/換算処理

例えば、

都合定穀伍万陸仟伍伯伍拾参斛漆斗壱升
〈振入五千百四十一斛二斗五升、斛別入一斗〉

とある。「振入」を単なる数量記載と見てはならないのは、すでに

実際の収納・搬入に伴う計量上の加算/換算処理

として独立した会計システムを教えるからである。もちろん「斛別入一斗」という定型的な計算式であるにしても、この正税帳が

実物量 → 帳簿量

への変換規則までも組み込んでいるからである。

⑧ 倉庫一覧

圧巻なのは、断簡5以降である。

正倉
税屋
不動穀倉
動用穀倉
糒倉
粟倉
穎稲倉
穎稲税屋

という倉庫別管理が出てくる。いわゆる「倉庫別管理(ロケーション別在庫管理)」は、現代の会計士にとって「棚卸資産統制の核心」であり、J-SOX・財務報告の信頼性確保のために必須の管理概念であるように、律令時代において

例えば、

都合定四十二間
不動穀倉二十一間
動用穀倉二間
糒倉二間
粟倉一間
穎稲倉十三間
穎稲税屋三間

とある。

財貨 → 数量 → 会計区分 → 倉庫 → 倉庫数

というところまで接続しているのは、このことで、結果的に倉庫別管理システムが「在庫の所在・数量・価値を説明できる状態」を作るための基盤となった。しかも正税帳提出を要求する太政官や民部省・主税寮にとって、全国に点在する60数か国の倉庫群でも均質な財務データを提供させることで、不正な棚卸資産データが財務報告リスクを含み、国家財政をも揺るがせかねない事態を招来すると十分に熟知した会計マインドの持ち主が考案した報告方式であった。再言するまでもなく、中央官衙にとって、全国的な棚卸資産管理が、律令国家運営にとっての生命線であるだけに、そのデータ把握に最大限のエネルギーを払ったに違いない。

⑨ 「鍵」と「印」の管理

断簡3には、

鎰壱拾陸勾
不動鎰七勾
糒倉鎰一勾
……
塩倉鎰一勾
正倉印一口

そして、

右、不動鎰七勾、蔵納櫃也、付去天平七年正税帳使故目……

とある。今、この記述にみる「鎰」とは、何だろうか。そのカギは、『続日本紀』に

  「《大宝二年(七〇二)二月乙丑(廿八)》○乙丑、諸国司等始給鎰而罷。〈 先是。別有税司主鎰。至是始給国司焉。 〉」

とある記事である。この記事で見るように、この2月28日に「諸国司」に「鎰」が配布され、それを各国衙に持って「罷」(赴任した)と解する。この記事を元にすれば、中央官衙である民部省などが「鎰」を一括して作成し、それを分与したと考えるならば、それ以降に規定で定められた不動倉の鍵の民部省集中管理制に関しても、民部省で作成された「鎰」をそのまま使用してきたはずである。新しい鎰だとしても、あるいは予想されるミスとして鎰の紛失事態にも即応できたはずである。

天平6年度「周防国正税帳」に

 「 正倉弐拾伍間

  借倉弐間

  借屋壱間

  合弐拾捌間〈不動穀倉六間 動用穀倉五間 糒倉一間 穎倉一十五間 穎稲借屋一間〉

  鎰弐勾〈不動鎰一勾常鎰一勾〉」
とあり、不動倉に鎰1つあったと記述する。
 それが天平7年度『長門国正税帳』に至ると、
  「 正倉壱佰捌拾漆間〈破壊五間〉遺壱伯捌拾弐間

  今造新倉弐間〈凡倉〉

   合定正倉壱伯捌拾肆間

  借倉弐拾間

  借屋捌間〈止五間〉 遺参間

  都合定弐伯漆間〈不動穀倉四十一間  動用穀倉五十八間糒倉八間 穎倉六十九間 空倉卅一間〉

  鎰伍勾〈印一面〉

   右、所以不進不動倉鎰者、依今年国裏疫病、不得加不動穀、仍不進上

  件鎰、如」
とあり、「所以不進不動倉鎰者、依今年国裏疫病、不得加不動穀、仍不進上」の記事から判断して、天平6年の規定変更では、各国衙の不動倉の鍵は「進上」しなくてはならない。しかし、「今年国裏疫病」によって、不動穀を長門国の疫民に使用しなくてはならないので、「仍不進上」とある。しかしながら、日本を襲ったパンデミックがいったん終息した天平10年度『伊豆国正税帳』には、

 「鎰壱拾弐勾

   不動倉鎰陸勾

   常鎰陸勾

   匙弐口不動〈一口、以神亀元年十二月廿九日、附史生大初位上勲十一等林連毛人進上一口、以天平 
   元年正月廿一日、附史生従七位下広瀬臣光進上、〉」(正集19断簡2(2/195~200)
とあり、国衙の不動倉の入り口に欠けられたKeyは、規定に従って、中央の官衙(民部省か)に上進され、そこで保管された事実を、この記事は教えている。
 ではいかなる形態のKeyであっただろうか。
  我々の関心からすれば、
 ①「海老錠」
 ②
などであるが、
 「「九」卅文丸鎰二隻直〈別十五文*「八」〉十三文買鍵三隻直」(国文学研究資料館所蔵「東大寺正倉院文書」〈雑三〉(小杉本)所引(天平宝字六年)奉写二部大般若経銭用帳断簡(原本所在不明、五ノ三七一―三七二10))
とある記事によって、市場で購入できたらしい。よもや国衙の正倉の鎰が市中で製作されたとは考え難いが、念のために注意を喚起しておきたい。

飛鳥時代の〝カギ〝「海老錠」発見 大切な物を保管した調度品に取り付けたか | 産経新聞 奈良県専売会

飛鳥京跡苑池で見つかった海老錠の牡金具

飛鳥京跡苑池で見つかった海老錠の牡金具

 海老錠は本体の牝金具、それに差し込む牡金具、鍵の3つで構成。見つかったのはL字形の牡金具で、長さ約9・5センチ。保存状態が極めてよく、牝金具と連結するための通し孔がはっきりわかる。線刻が施され、表面に漆が塗られている点は、正倉院(奈良市)の所蔵品と同じ特徴を持つ。




  • 708年(和銅元)頃~:不動倉制度成立、中央による鍵管理
  • 740年(天平12)頃:不動倉の開倉・転用が進み、鍵が国司管理になったと考えられる
  • 763年(天平宝字7):再び中央政府管理へ


我々の問題関心に立ち戻りたい。倉庫の鍵と正倉印まで会計帳簿の末尾に記録している。つまり正税帳は、財貨の数量だけでなく、その財貨を管理する物理的行政装置そのものを記録している。律令社会において、主に民部省では、太政官に対して全国各地から届く正税帳や郡稲帳などの公文書を通した入手した棚卸資産の信頼性が求められた。それを担保するのが、数量・所在・所有・評価 の4要素であった。

数量の正確性

継続記録法・棚卸計算法のいずれでも、帳簿と実地棚卸の一致が必須。

数量誤りは納税額・予算の誤りにつながる。

 

所在の正確性

在庫は複数倉庫・委託倉庫・輸送中に散在する。

所在不明は「存在しない在庫」を計上する粉飾の温床。

 

所有の正確性

委託在庫・預け在庫は所有権の判定が会計処理に直結する。

 

評価の正確性

過剰在庫・停滞在庫は評価減(低価法)の対象となる。

評価誤りは利益の過大計上につながる。

古米の廃棄

 

3. 鍵の管理

鍵の管理は、在庫管理の中でも物理的統制(Physical Controls)の中心である。

棚卸資産の内部統制は

A)記録統制(帳簿)

B)物理統制(鍵・施錠・アクセス制限)                       の二層で守る。鍵の管理は次の理由で必須となる。

不正防止(横領・持ち出し・架空在庫)

在庫は国家資産であり、盗難・横領・紛失などのリスクが高い。 鍵管理が不十分だと、帳簿上は存在するが実際には消失している「架空在庫」が発生する。

実地棚卸の信頼性確保

鍵が管理されていない倉庫では、在庫確認(棚卸前)に在庫が移動され、棚卸差異の原因が不明になる。

アクセス権限の明確化

誰が倉庫に入れるかを限定することで、在庫の所在・数量の説明責任が明確になる。

証跡管理(監査対応)

京に居ながらにして、民部省主計寮などは正倉の施錠・入退室記録・鍵の保管状況を確認し、棚卸資産の存在性(Existence Assertion)を検証する。

 

4. 在庫管理と鍵管理の統合モデル

在庫管理と鍵管理は次のように統合してもよいかもしれない。

A)記録統制:継続記録法・棚卸計算法

 1,WMS/ERPによる入出庫記録

 2,在庫評価(先入先出法など)

B)物理統制

正倉の施錠

鍵の管理(責任者・保管場所・貸出記録)

C)監査統制

棚卸の立会

鍵管理の検証

在庫差異の原因分析

評価減の妥当性確認

この三層構造によって、棚卸資産の存在性・権利義務・評価・完全性 という財務報告の4つの主張(Assertions)が守られる。

 5. 「在庫管理と鍵管理」の本質

検索結果の内容を統合すると、次の一点に収斂する。

在庫管理は記録の正確性を担保し、鍵管理は物理的存在性を担保する。 この二つが揃って初めて、棚卸資産の信頼性が確保される。

在庫管理だけでは不正を防げず、 鍵管理だけでは帳簿の正確性を担保できない。

両者は「内部統制の両輪」である。

 


6.  最終まとめ

在庫管理=帳簿の正確性を守る統制 鍵管理=在庫の実在性を守る統制

律令国家にとって、この二つを統合して棚卸資産の信頼性・利益計算の正確性・不正防止・監査対応を実現するところに、国家経済の柱を据えた。つまり、唯一の経済収入は「米」であったからである。

ここから私は、

正税帳=「財政台帳+倉庫管理台帳+会計監査台帳」

だと提唱したい。

⑩「歴年欠穀」

断簡3・4、さらに断簡18-3では、

和銅五年検校欠穀
霊亀元年検校欠穀
養老四年検校欠穀
神亀二年検校欠穀

とある。つまり天平九年の帳簿なのに、過去の欠損を累積して記録の残している。しかも、

欠穀+担当国司名

まで明記する。したがって正税帳は、上述した特徴に加えて

一年間の決算だけではなく、過年度の財政責任を追跡する監査記録

でもあると提案したい。

⑪ 「誰が責任を負うのか」の記録化

断簡18-3が典型である。

霊亀元年検校国司守従六位下巨勢朝臣足人
欠穀……

養老四年検校国司守従六位上矢田朝臣黒麻呂
欠穀……

神亀二年検校按察使正五位上勲七等大伴宿祢山守
欠穀……

本断片は単なる歴史ドキュメントではなく、

欠損額+検校者+その時の国司

を明記して、会計責任者を歴史的に追跡可能にしている。

ここまで来ると、「正税帳」という名称の「正税」だけを見て、その機能を狭くするの排除したい。そのうえで、一番注目したい箇所は断簡18-2である。

ここには、

中宮職交易絁直并運担夫庸稲玖阡参伯捌拾束

さらに、

皇后宮交易雑物直并運担夫庸稲壱阡玖伯捌拾束

がある。つまり国府会計の中に、中央官司との交易を記載している。

さらに、

直稲
運担夫
庸賃

まで一つの会計単位にまとめている。しれゆえに、我々の観点からすれば、『駿河国正税帳』は、

「国府文書群=中央政府と地方政府を接続する通信・会計システム」

だとも提案できる。

⑬ 「不用馬」と「馬皮」

断簡18-2:

加伝馬死皮肆張直肆拾束
加伝不用馬伍匹直弐伯伍拾束〈匹別五十束〉

とあり、さらに

   加伝馬死皮伍張直伍拾束

加伝馬死皮肆張直肆拾束

とある。

法令上の「不用馬売却」と駿河国府会計における「伝不用馬5匹=250束」

が同じ制度として接続することで、

さらに、

加伝馬死皮伍張直伍拾束

加伝馬死皮肆張直肆拾束

を記述しながら、

馬そのものが死亡した場合 → 皮を回収 → 稲価に換算

という処理を通して、、

馬資産の減価・廃棄・残存価値回収

として見ることができる。


⑮ 駿河国正税帳は「国家会計の縮図」ではないか

ここまで整理すると、今回いただいた史料には少なくとも、

① 人件費
② 官人食料
③ 物品購入
④ 酒・塩会計
⑤ 武器・軍装品原価
⑥ 伝馬購入
⑦ 不用馬売却
⑧ 死馬皮の売却
⑨ 出挙元本
⑩ 利稲
⑪ 貸倒れ・免稲
⑫ 租穀
⑬ 不動・動用区分
⑭ 倉庫管理
⑮ 鍵・印管理
⑯ 過年度欠穀
⑰ 国司の責任追跡
⑱ 中宮職・皇后宮との交易

が一つの帳簿体系の中に入っています。

残された問題も少なくないが、その中でも越前国正税帳との比較は早々に着手しなくてならない。

機能越前国駿河国
郡稲・穎稲
不動・動用
酒・塩
雑用
出挙
利稲
貸倒れ・免稲
官人食料
倉庫管理
過年度欠穀
不用馬
死馬皮
中央官司交易―/要確認
 
 これは駿河国固有の会計方式なのか、それとも全国の国府に共通する「正税帳標準フォーマット」なのかという問題へと発展する。

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