2026年7月29日水曜日

「 甘羅城カムラノサシ、高難城 カウナンノサシ 、爾林城ニリムノサシ」(応神紀16年条)

『日本書紀』巻10,応神天皇紀に、

十六年春二月、王仁來之。則太子菟道稚郎子、師之、習諸典籍於王仁、莫不通達。所謂王仁者、是書首等之始祖也。是歲、百濟阿花王薨。天皇、召直支王謂之曰「汝返於國、以嗣位。」仍且賜東韓之地而遣之。東韓者、甘羅城・高難城・爾林城是也。八月、遣平群木菟宿禰・的戸田宿禰於加羅、仍授精兵詔之曰「襲津彥久之不還、必由新羅之拒而滯之。汝等急往之擊新羅、披其道路。」於是木菟宿禰等、進精兵、莅于新羅之境。新羅王、愕之服其罪。乃率弓月之人夫、與襲津彥共來焉。」

とある。古来から。この中の「 東韓者、甘羅城・高難城・爾林城是也 」の漢字表記をいかに読み、どの城に比定するかは様々な説が発表されてきた。

傍訓では、  「 甘羅城カムラノサシ、高難城 カウナンノサシ 、爾林城ニリムノサシ」とあり、この「さし」は「城」の意味だと理解されてきた。本稿の筆者も、それに異を唱えるものではない。

  古代日本語の「サ」の音が【tsa】であったという有坂秀世説に従えば (『上代音韻致』)、この「城=サシ」は中期韓国語の「cas城」(訓豪字会(中の八) と類似するので、現地で日本語母語話者が聞き取った朝鮮半島南部の語である可能性も、十分に検討に値する。しかし、それだけで両者の系統関係を結論づけることはまだできず、音韻・年代・語彙史の三点から慎重な検証が必要であることは言うまでもない。

 1) 有坂秀世先生が上代日本語のサ行子音を現代の [s] よりも破擦音的な\*tsa と復元したことは、日本語音韻史研究の古典的成果であり、その後も多くの研究で重要な出発点となっている。現在では *tsa*、*t͡sa*、あるいは歯擦音の性質をどう表記するかには議論があるものの、 上代の「サ」は現代日本語の [sa] とは異なる という理解は広く共有されている。

 2) 『日本書紀』の「城=サシ」 応神紀16年の記事 > 甘羅城・高難城・爾林城 に見える「城」を『日本書紀』が「サシ」と訓注していることに注目したい。日本語では「城」は通常「き・しろ」であるにもかかわらず、朝鮮地名だけに「サシ」という特殊な訓が現れる*ので、これは日本語ではなく、「朝鮮半島側の現地語を音写・訓写した可能性」が魅力的であるのも無理はない。

 3.) 中期韓国語 cas(城)との比較の指摘は、古来幾人かの研究者が掲示してきた。したがって、特別な創見ではないものの、  もし 上代日本語 「 サシ」と「 *tsa-si 」中期韓国語を比較すると、 一致するのは 「 語頭の歯擦音 * 母音 a * 語幹 」cs / s である。 つまり、 完全一致ではないものの、かなり近い音形 になる。

 4) しかし慎重になるべきは、 『日本書紀』(5~7世紀頃の朝鮮半島で採録された語?)であるの対して、 一方、 『訓蒙字会』(崔世珍、1527年成立<比叡山本>、3300字収録)であり、その収録時期が大きく異なる。両者には約900年の隔たりがあることは明白な事実である。 比較しているのは「 古代朝鮮語 と中期韓国語」。 この約900年間に音変化があった可能性を推定しておかなくてはならない。他人の「そら似」だと簡単に反論されてします。

 5)卑見によると、日本語表記「サシ」がそのまま中世韓国語 cas に対応する というより、通説に従って、「朝鮮語を日本語音韻体系で表記した結果」と考える方が自然ではないかと考える。もちろん、その推測が成立するためには、古代朝鮮半島で語られていた語「城」が中期朝鮮語 casへと継承・転写された可能性を有するという前提の下で、仮説は、十分に研究対象となり得るだろう。


現段階では、この程度にとどめておくのが良さそうである。

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