(1)韓家郷
『倭名類聚抄』にある日向国児湯郡内の八つの郷を列挙する。その一つに、
*「韓家郷」
がある。念のために、残りの7つの郷名を挙げておこう
①穂北郷
②大垣郷
③三宅郷
④覩唹唹
⑤三納郷
⑥平群郷
⑦都野郷
今、残りの郷名は後回しにして、「韓家」郷に注目したい。この韓家郷は「カラ+や+こほり(Köföri)」もしくは「カラ+いえ+こほり(Köföri)」と読まれてきた。
『倭名類聚抄』には、
1,筑前国宗像郡辛家郷
⇒『倭名類聚抄』宗像郡には「秋・怡土・荒自・野坂・荒木・海部・席内・深 田・蓑生・辛家・小荒・大荒・津九郷」の14郷がある。
⇒⇒辛家郷は「奴山番田遺跡:Ⅰ区の奈良時代の遺物を含む溝が検出された。倭名抄の辛家郷内にあたる。」(花田勝広 「宗像地域の古代史と遺跡概説」むなかた電子博物館紀要 第2号、2010年4月1日、90頁。 福岡県福津市奴山所在)
2,上野国多胡郡辛科
⇒『和名類聚抄』には、上野国
等の地名があり、「韓=辛」(から)と同一漢字読みを許容していただけるだろう。
したがって、「韓家郷」は朝鮮半島からの渡来人の居住地であったと考えてよいと推定する。人口学者によって、正倉院に残存する諸戸籍関係資料を基に算出した1戸の人数は約20人、1郷は50戸であるので、人口は約1000人と推計される。
したがって、日向国児湯郡韓家郷一帯に渡来系住民約1000人の居住地が存在していたのではないかという仮説を提出したい。むろん条件次第で、その数は増減するはずである。
可能であれば、その考古学的痕跡を探したい。なにしろ微力ゆえに、博雅の士の教えを受けたい。
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