2018年4月13日金曜日
狩野友元の「松の絵」
未見の史料であるが、狩野友元の「松の絵」がある。藩主黒田家の肖像はお抱え絵師尾形家の絵師が描いてきた。狩野友元は尾形家の絵師で有り、小方守房が別名。宝永5年(1708)に友元は太宰府天満宮に「松の絵」を寄進する。その現存を知らない。
太宰府の崇福寺
鎌倉時代、随乗坊湛慧創建による崇福寺は太宰府横嶽に建立された。しかしながら天正14年(1586)の岩屋城合戦時に消失し、その後、慶長5年(1600)に黒田長政が博多に再建した。
さて、その横嶽の地の調査をしたが、今では兵どもの夢の跡であった。
さて、その横嶽の地の調査をしたが、今では兵どもの夢の跡であった。
太宰府のご神幸
「西都安楽寺天満宮例祭神幸之図」(元治元年1864、平戸の樹応寺僧円心筆)がある。康和3年(1101)大江匡房が始めたといういわれを持つ天満宮例祭神幸は、『筑前国続風土記』に詳細を見る。
太宰府の「連歌屋」
太宰府天満宮の近くに「連歌屋」という地名がある。
毎年、1月20日、5月20日、9月20日(黒田如水の命日)、太宰府の神職たちが連歌屋に集まり、連歌を作ったという(貝原益軒『如水遺事』)。
慶長7年(1602)1月16日に、黒田如水が主催した連歌の会(「夢想の連歌」)を紹介したいが、こうしたマニアックな話題に関心を寄せる人はいないだろうから、冥土の土産としたい。
毎年、1月20日、5月20日、9月20日(黒田如水の命日)、太宰府の神職たちが連歌屋に集まり、連歌を作ったという(貝原益軒『如水遺事』)。
慶長7年(1602)1月16日に、黒田如水が主催した連歌の会(「夢想の連歌」)を紹介したいが、こうしたマニアックな話題に関心を寄せる人はいないだろうから、冥土の土産としたい。
太宰府史跡保存の恩人、矢野太左衛門昭徳伝
機会があれば、太宰府史跡保存の恩人、矢野太左衛門昭徳伝を書きたいと思う。少しずつ関係資料を蓄えてきたので、この恩人の功に報いるために、老骨に鞭を入れたい。
嘉永5年(1852)である。
嘉永5年(1852)である。
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