2025年5月2日金曜日

天平六年(734)に大阪府交野市付近を襲った地震の紹介

1)以下は、都司嘉宣 氏(深田地質研究所)の研究紹介である。

「『小松寺縁起』(大阪府交野市)の元となった京都・教王護国寺 に保存された『観智院史料』の翻刻文を調査し,『縁起』が信頼度の高い文書であることが確証さ れた.『縁起』には,和銅五年(712)の小堂の開創以来,天平六年(734),寛和元年(985),永長二年(1097) 十一月二十日,および承徳三年(1099)八月二十七日に地震があって,寺院の建物が被害を受けたと 記録されている.この四回の地震のうち,最初の二個の地震は,これまで知られていなかった地 震である.3番目の地震は,永長元年(1096)十一月二十四日の東海地震の約一年後に起きており, また4番目の地震は,承徳三年(=康和元年,1099)一月二十四日の南海地震の7ヶ月後に起きてい る.ともに海溝型巨大地震に誘発された内陸地震と理解される.小松寺は丘陵地帯の中にあった 寺院であるが,生駒断層の北端付近で東に分岐する交野断層の南方わずか1kmの所に位置してお り,生駒断層,あるいは交野断層を起震断層とする地震であったと理解することができる.小松 寺のあった場所は現在ゴルフ場となっているが,その場所には石碑が建てられている.」(「大阪府交野市小松寺の古代の四度の地震記録」『深田地質研究所年報』No.19,p. 71-79 、2018年)


2) 郡司氏の指摘通りに、確かに天平6年4月7日(ユリウス暦734年5月14日)に大地震が発生したことは『続日本紀』にも、その記録がある。

天平六年(734)夏四月

1)夏四月戊戌(7日)、地大震、壞天下百姓廬舍。壓死者多。山崩川壅、地往往坼裂、不可勝数。

2)癸卯(12日)遣使畿內七道諸國、検看被地震神社。
3)戊申(17日),詔曰:「今月七日,地震殊常,恐動山陵。宜遣諸王、真人,副土師宿禰一人,検看諱所八處及有功王之墓。」又詔曰:「地震之災,恐由政事有闕。凡厥庶寮勉理職事。自今以後,若不改勵,隨其状迹,必將貶黜焉。」


畿内: 民家倒潰し圧死多く,山崩れ,川塞ぎ,地割れが無数に生じた.生駒断層帯の活動によるものか?」
そもそも日本列島に分布する長さ約20km以上の活断層帯は約110本。その内、近畿地方では 22 本の活断層帯が発見されている。国土交通省の調査では、地震発生確率が高い活断層として,65 琵琶湖西岸 断層帯,75奈良盆地東縁断層帯,80上町断層帯,81中央構造線断層帯,82山崎断層帯を挙げている。そして地震発生確率がやや高い活断層として,67養老-桑名-四日市断層帯,69鈴 鹿西縁断層帯,70頓宮断層,71布引山地東縁断層帯,73三方-花折断層帯,77生駒断層帯, 78 三峠-京都西山断層帯,79六甲・淡路島断層帯,83中央構造線断層帯(紀淡海峡-鳴門海峡) がある」

「寒川(1986)に よって5世 紀以降に1.2~18 mの 上下変位を伴う活動が生じたことが明らかにされ ている、本 セグメント北部の生駒断層北端部では,平 成 8年 度に実施した トレンチ調査により,2千 年前以降で 奈良時代より古い活動が検出された(下川ほか,1997). したがって,本 セグメントの最新活動時期は5~7世 紀 に限定される可能性が高い.ト レンチ調査の結果から, この活動に伴う実変位量は2.2m以 上と推定される.た だ し,誉 田断層に関しては1510年 の地震で活動した可 能性が指摘されており(寒川,1986),生 駒断層以北とは 異なる活動セグメントをなしている可能性が残る」( 地質調査所活断層研究グループ「近畿三角帯における活断層調査-主 要活断層の活動履歴と地震危険度」『第 四紀研究(The Quaternary Research)』 39 (4) p. 289-301 、  Aug. 2000)

であるという。つまり、天平6年の生駒地震によって、地面の隆起や陥没など(「山崩川壅、地往往坼裂」が「1.2~18 mの 上下変位」を予想されるという。その人的被害も甚大であり(「壞天下百姓廬舍、壓死者多」)、しかも「検看被地震神社」とあるので、神社仏閣などの倒壊なども数多く発生したようだ。
その一端は、
「『続日本紀』には天平六年の地震で、山陵が動いたかもしれない という記事があるのですが(『続紀』天平六年四月戊申条)、実際に誉田 山古墳の墳丘の裾を生駒断層帯が走っており、前方部が断層で切ら れています。誉田山古墳は、五世紀にできた巨大古墳ですけれども、 五世紀以降の地震で動いていることは間違いない。生駒断層帯につ いて、四條畷でトレンチを入れてみると、断層の直上の土層で炭素 年代により平安時代に遡る遺物が検出されています。ということで、 五世紀以降、平安時代までの間に生駒断層帯が動いた可能性がある ととして、この断層を焦点に考えることにしました」(今頭勝紀「日本古代史研究の方法的模索 」fulltext.pdf
とある。
 ここでの関心は災害復旧にある。
突飛な想像になるが、『行基年譜』の「天平十三記」に見る行基の活動は,約三〇年間に橋六,道一,池十五,溝六,… 満濃
池はその後,決壊と修築を繰り返したが放置されたま

図表1-1-3 行基が整備したインフラ
図表1-1-3 行基が整備したインフラ
国土交通省作成






養老-桑名断層は745(天平17)年地震(M ≒7.9)と1586(天正13)年地震(M ≒7.8 ±0.1),山崎断層は 868(貞観 10)年播磨地震(M≧7.0),有馬-高槻断層帯・六甲山地南縁 活断層帯・淡路島北部東縁活断層帯・四国の中央構造線活断層帯は 1596(慶長1)年伏見桃山 地震(M ≒7.1/2±1/4)とこの前後の地震,三方断層帯北部(日向断層を含む)と花折断層北部 は1662(寛文 2)年若狭・近江地震(M ≒7.1/4±1/4),木津川断層は 1854(安政 1)年伊賀 地震(M ≒7.1/2±1/4),郷村断層と山田断層は 1927(昭和 2)年北丹後地震(M7.3),野島 断層は1995年兵庫県南部地震(M7.3)を引き起こして活動した.また,琵琶湖西岸断層帯(堅 田断層)は1185(元暦2)年近江地震(M≒7.4)を引き起こした可能性がある.こ






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