『類聚国史』延暦 19 年(800)3 月 1 日条によると、
「出雲国介従五位下石川朝臣清主言。俘囚等冬衣服、依例須 絹布混給 。而清主改承前
例、皆以上絹賜。又毎人給 乗田一町 。即使 富民佃之。新到俘囚六十餘人、寒節遠
来、事須優賞 。因各給 絹一疋、綿一屯」
とある。
この資料で注目されるのは「新到俘囚」である。「新」という語句に注目するならば、出雲国に記録に出現する以外に、出雲国に「俘囚」がぞくぞくと新たに移配されたと理解しても不自然ではない。
とすれば、出雲国に移配された俘囚の数は何名に達するのだろうか。
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