「他人の空似」という言葉がある。言い古された例であるが、
日本語:神(Kami)
朝鮮語:감히(kamhi)⇒ 「恐れながら」の意
など多数ある。
佐藤ひろみ氏の紹介文を以下に転載する。
「神宮寺寺誌によれば、若狭の語源は朝鮮語ワカソ(ワ ッソ=来 るとカッソ=往 くとの合成語) が和加佐と訛ってさらに若狭と宛字された地名で、奈良もまた朝鮮語ナラ(国 という意味でナラ して開けた土地すなわち都という意味)を 語源とし後に宛字されたものであるとされている。こ の地方が若狭の中心で、白鳳時代から拓け、この谷は上陸した半島文化が大和(朝 鮮語でナラと おにゆう もいう)へ 運ばれた最も近い道であったという。国府のあった遠敷は朝鮮語ウオンフー ・「遠く ねごり にやる」が訛ったものとされ、根来は朝鮮語ネ、コーリ 「汝の古里」が訛ったとされる。京都や 奈良はそこから百キロほどの直線上にあたるといわれる。さらに神宮寺の起源については次のよ うに記されている。」( 佐 藤 ひろみ「水神のルーツと生活文化II 一 若狭から奈良へ、お水送り神事 ・お水取り神事の周辺から 」(124頁)
この語源説に関する論評は控える。
しかし卑見によると古代朝鮮語の解明が進まない段階で、語源究明の道を現代朝鮮語の知識で分析してよいかと考える。例えば、奈良の語源として、韓国語「ナラ」を提示しているが、この語形は古代朝鮮語だというならば、古代朝鮮半島における新羅・高句麗・百済・加耶などの諸地域言語のどれに該当するのかまで、考察に加えなくてはならない。
現在の言語資料から遡上できるのは、中期朝鮮語のもう少し古形である「NaraH」
である。さらに言及すれば、この「NaraH」は「NaraK」に遡る可能性も想定されている。
そうであれば、古代朝鮮語「NaraK」と「NaRa」(奈良)とを比較したとき、それは類似していると考えるべきか、それとも他人の空似とすれば良いだろうか。
佐藤氏をはじめとする博雅の士のご教示を待ちたい。