「下野国」は「しも+ケ+国」と分解できrる。その一方で、「上野国」があることで、「上+下」の二項対立でも理解されていたので、本質的に「上・下+ケ」国であると考えてよいだろう。
とすれば、この「ケ」とは何か・
ふと思い出すのは、『万葉集』巻1、38番歌の一節である。
「(幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌)
安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆 疊付 青垣山々神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 [一云 黄葉加射之] 逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨
やすみしし わご大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳つく 青垣山 山神の 奉る御調と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり [一云 黄葉かざし] 逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
(右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌)」
や、あるいは同じく『万葉集』巻20,4360番歌の
「天皇乃 等保伎美与尓毛 於之弖流 難波乃久尓々 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎尓 多要受伊比都々 可氣麻久毛 安夜尓可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐尓 波奈佐伎尓保比 夜麻美礼婆 見能等母之久 可波美礼婆 見乃佐夜氣久 母能其等尓 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久尓欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都々 安佐奈藝尓 可治比伎能保理 由布之保尓 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎々保比弖 波麻尓伊泥弖 海原見礼婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍尓 安麻乎夫祢 波良々尓宇伎弖 於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理 曽伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見礼婆 宇倍之神代由 波自米家良思母
皇神祖の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の世に 絶えず言ひつつ 懸けまくも あやに畏し 神ながら 吾ご大君の うちなびく 春の初は 八千種に 花咲きにほひ 山見れば 見のともしく 川見れば 見の清けく 物ごとに 栄ゆる時と 見し給ひ 明らめ給ひ 敷きませる 難波の宮は 聞し食す 四方の国より献る 貢の船は 堀江より 水脈引きしつつ 朝凪ぎに 楫引き泝り 夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原見れば 白波の 八重折るが上に 海人小舟 はららに浮きて 大御食に 仕へまつると 遠近に 漁り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも 此見れば うべし神代ゆ 始めけらしも」
の「大御食(於保美氣 Ofo +Mi+ケ」である。
要するに、(上・下+)「ケ」+野は食料生産地帯であり、天皇の重要な供御地であるという仮説に立つ。「御食国」であったと同一な視点から考察を加えたい。
しかしながら、この仮説を全面的に否定する相澤秀太郎氏(東北大学大学院文学研究科歴史科学専攻)の博士論文「 日本古代の国家と蝦夷」 にも関心を広げ、相沢氏の論に妥当性があるかどうかを検証してほしい。
「,東国地域,特に上毛 野,下毛野の地域には「御食(ミケ)」として設定されたという歴史的事実はなく,また 地名にも「ミケ」という語句はみられない。あくまで「毛(ケ)」であり「三毛(御食=ミケ)」ではないのである。もっとも「ミ(御)」は天皇に対する尊敬語句であるから, それが取り払われて「ケ」という音だけが残ったということもできるかもしれないが,古 代では一貫して「御食(ミケ)」であり,尊敬語句を外した表現は確認できない。以上の 理由から,東国地域が「御食(ミケ)」として設定され,そこから地域呼称「毛(ケ)」 が生み出されたと考えることはできないというのが私見である。」(2~3頁)
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