偶然とは面白い、例のGoogle-scholarで論文検索をしていたところ、HITしたのが、
*島津英彦「古代辰砂の故郷」『資源地質』59-1,73-76頁、2009年
であった。
地質学・鉱物学を専門とする島津東京大学名誉教授の論文を見る機会は絶無であったが、この偶然は僥倖であった。詳細は当該論文に譲り、
*弥生時代後期の島根県西谷3号墳、鳥取県紙子谷門上谷1号墳、京都府大風呂南1号墳、福岡県春日立石遺跡の辰砂の同位体比較をしたところ、その原産地が
*中国秦嶺産地の水銀鉱床、青銅溝鉱山<(青铜沟矿山)>や公館地域一帯の辰砂
と同位体+8%x前後で一致するという。
とすると、この一致から想定される仮説が「辰砂交易ロード」である。
私の仮説は、この交易ロードの上に、中尾佐助先生らの照葉樹林文化論を重ね合わせ、この文化要素とともに、確証に乏しいけれども、辰砂も日本に流入したと考えている。
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