2024年1月16日火曜日

都ー大宰府間の情報は漏れ漏れ。

 

『続日本後紀』承和8年(841)8月21日条に、

 「勅曰、聞、下大宰府駅伝官符.并彼府言上解文、路次諸国

長門関司等、毎各開見、縦国裏機急、境外消息、不可必令万民感知、而解文委曲未来京華、下府辞状無達宰府、載記之旨■(言+宜)■(言+華)間、途説之輩溢内外」

とある。山陽道の諸国司が都の中央政府と大宰府間でやり取りされる文書の閲覧禁止を記録した記事である。興味深いのは中央政府と大宰府間で往来する情報が諸国司に筒抜けであった事実である。今であれば、暗号の使用や厳重な封印方法などを想定するが、その実態はそうでなかったらしい。

 

 ところで、長門国府、長門関、長門山城の位置が確定していないことは残念である。

なお、余談であるが、壇之浦は「団の浦」であろう。



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