2024年1月31日水曜日

大宰府の鋼丁(権算師・小野為広)


 「太政官厨家返事抄、大宰府、検納率分絹玖佰参拾参疋弐丈事、六百疋、見色、三百卅三疋二丈。綿弐萬屯代、右、永久2年料、鋼丁権算師小野為広所進、検納如件、故返抄、永久4年8月廿日、案主日下部。」

(『朝野群載』巻20,永久4年8月20日、官厨家返抄)

ここでは大宰府の命によって鋼丁(権算師・小野為広)が調庸輸送の任を帯びて都に貢納したとある。

我が関心はなぜ権算師が鋼丁の役目を果たすのかの究明にもあるが、それ以上に、

絹玖佰参拾参疋弐丈と綿弐萬屯

をどのような方法で、いかなるルートで、何日かけて輸送したかを知りたいと考える。「

雇往還船人馬事」(『類聚三代格』巻14、斉衡2年11月15日官符)とあるが、我が想像は船ではないかとみている。識者のご教示をお願いしたい。そのルートを想像することは楽しいが、後考を俟ちたい。

なお、賦役令調皆随近条集解穴記に、

 「穴云、年月日、謂国勘訖国印之日耳、非 

  元輸日也」

とあるように、国府での勘検をへて各国の印が押されてあった。


そしてそれらの品は木箱に格納されて、都に送付されたようだ。次の木簡はそれを傍証する。

基肄郡布七端絁六匹□□〔布ヵ〕一匹□〔駄ヵ〕一□〔匹ヵ〕

この木簡を発掘した遠藤茜氏の説明は鮮やかである。

p34 (dazaifu.lg.jp)

この木簡だけでは、基肄郡司から肥前国府へ、そして肥前国府から大宰府へ貢納されたとしか理解できないが、それと同種の方法で都へ輸送したと考えるのが自然である。


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