古代の条里制は、高麗尺の300歩1里(曲尺2160尺で360間).を一辺として、その平方を大方格とする地割である。その内部をさらに6等分して、方60間の小方格36個が作られる。
一町(60間)四方は10反からなり、一反は360歩である。方1里の内部は36等分され、その一つを坪と呼ぶ。
しかしながら、筑後国では、その坪の代わりに「江」と呼ぶ。あるいは「甲」。
その例を、「観世音寺資財帳」御原郡の条里で確かめられる。
なお、「江田」・「荏田」「栄原(えはら)」「穎原」「荏原」なども、上記の想定に含めてよいだろう。つまり「えだ」とは「え(坪)+田」と理解する。
ただし、「えだ=枝とも,えだ=江(河)の田」とも推定される場合があることにも留意しておきたい。
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