古代、京から大宰府までの道筋を考えたい。
下関の赤間から九州へは船で渡ったろうが、さて、その上陸地はどこか?
九州の起点は轟灘の対岸である小倉であるが、その小倉のどこか?近世であれば、「大里」だろうが、果たして古代に遡れば、どこか?
大伴旅人や山上憶良らが最初に記した足跡はどこか。ましてや東国の防人らが朝鮮半島での戦闘のために徴用されて、はるばると到来した地はどこか?
『延喜式』などを参考にして、そのルートを考えれば、
社﨑⇒到津⇒独見⇒夜久⇒鳴門⇒津日⇒席打⇒夷守⇒久爾(もしくは美野)⇒大宰府
ではなかったと推測される。
今、改めて言うまでもなく、西海道つまり九州に於いて、すべては大宰府を起点として6街道が発していた。
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