『延喜式』などの各種資料から列挙すれば、大宰府に多くの所司が存在した。竹内理三氏の研究を嚆矢として、松川博一氏や倉住靖彦氏・小田和利氏らの研究によって、主に文献研究から28所司の存在が想定されるという。その研究史に関しては、重松氏の論考に譲りたい。
①作紙所
②作物所
③貢上染物所(森公章氏や小田和利氏は太宰府市不丁地区に現業部署の存在を推定。「大宰府の官衙」1203頁他)
④匠司(小田和利氏説「来木地区」)
⑤修理器仗所
⑥主工司(註:重松敏彦氏はその存在を否定)
等の名を確認できる。もちろん、今となってはその場所を太宰府市内に特定できないが、考古学者の情報提供によって、引き続きその場所を知る手掛かりを探し求めたい。
<参考文献:重松敏彦「大宰府所司の形成過程とその運営体制」年報太宰府学第17号.indd>
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