2019年11月17日日曜日

大宰府奏,新羅王子韓阿飡金泰廉,貢調使大使金暄及送王子使金弼言等七百余人, 乗船七泊

『続日本紀』巻18天平勝宝4年 (752)閏3月己巳条には、
己巳,大宰府奏,新羅王子韓阿飡金泰廉,貢調使大使金暄及送王子使金弼言等七百余人, 乗船七泊。(『続日本紀』巻18天平勝宝4年〈752〉閏3月己巳条)
とある。

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 『続日本紀』
 ①乙亥,遣使於大内山科恵我直山等陵,以告新羅王子来朝之状。(『続日本紀』巻18天平勝宝4年〈752〉 閏3月乙亥条)
②六月己丑,新羅王子金泰廉等拝朝。并貢調。因奏曰,新羅国王言日本照臨天皇朝庭。新羅国者,始 自遠朝,世世不絶,舟楫並連,来奉国家。今欲国王親来朝貢進御調。而顧念,一日无主,国政弛乱。 是以,遣王子韓阿飡泰廉,代王為首,率使下三百七十余人入朝,兼令貢種種御調。謹以申聞。詔報曰, 新羅国,始自遠朝,世世不絶,供奉国家。今復遣王子泰廉入朝,兼貢御調。王之勤誠,朕有嘉焉。自 今長遠,当加撫存。泰廉又奏言,普天之下,無匪王土,率土之浜,無匪王臣。泰廉,幸逢聖世,来朝 供奉,不勝歓慶。私自所備国土微物,謹以奉進。詔報,泰廉所奏聞之。(『同』天平勝宝4年〈752〉6 月己丑条)
③是日,饗新羅使於朝堂。詔曰,新羅国来奉朝庭者,始自気長足媛皇太后平定彼国,以至于今,為我 蕃屏。而前王承慶大夫思恭等,言行怠慢,闕失恒礼。由欲遣使問罪之間,今彼王軒英,改悔前過,冀親 来庭。而為顧国政,因遣王子泰廉等,代而入朝,兼貢御調。朕所以嘉歓勤款,進位賜物也。又詔,自 今以後,国王親来,宜以辞奏。如遣余人入朝,必須令齎表文。(『同』天平勝宝4年〈752〉6月壬辰条)
 ④丁酉,泰廉等就大安寺東大寺礼仏。(『同』天平勝宝4年〈752〉6月丁酉条)
 ⑤戊辰,泰廉等還在難波館。勅遣使,賜絁布并酒肴。(『同』天平勝宝4年〈752〉7月戊辰条)

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