冒頭に特記しておきたいのは、史料発掘のプライオリティに関してである。以下の資料群にしても私の資料カードを寄せ集めたものに過ぎない。古びたカードで、早や書きのメモであるので、おそらく五味先生や黛先生、井上光貞先生など悠久の昔のご講義で伺ったにちがいない資料も入っているだろう。そして単行本や論文などで偶目した資料も入っている。私は史料に関して、これまでも、そしてこれからもプライオリティを主張する者ではなく、むしろ学界の共通財産として各自の観点から分析し、その史料的価値を検証することこそ重要だと考える。
当然ながら、私は古代史学界に身を置いていないので、その流儀を知らない無知無恥の輩。したがって、迂闊にも礼を逸しているかもしれない。それは門外漢ゆえの非礼だとしてご寛容のほどを切に願う。いずれにせよ、最初の資料紹介者のプライオリティに敬意を払う次第である。
律令時代の綿の価格は、
(1)天平宝字2年9月ごろ「坤宮官布施充当文」(14-54)
石見調綿:70文
(2ー1)天平宝字4年(760)ごろ「造金堂所解案」(25―315)
筑紫調(綿):67文<「造金堂所解案」(25―315)>
(2-2)天平宝字4年(760)ごろ
筑紫調(綿):67文<「百屯筑紫調、直銭6貫7百文屯別67文」(4-467)>
(2-3)天平宝字4年ごろ「造金堂所解案」(25―315)
因幡庸(綿):66文
因幡商(綿):50文
但馬庸(綿):65文
(4)延暦14年8月8日<政事要略』巻53、交替雑事条>
「綿1屯直5束」
等が知られている。
ここで私の観点からして重要なのは、この物産が富を蓄積することである。律令社会において主税の根幹にあったコメとは無縁であるだけに、それによって官の収奪から解放されたわりと自由な地帯にあった。目敏い人間たちがうまく走り回ったならば、富を蓄積する手段ともなりえた。いわば律令政治における目標が「公地公民」の普及・定着であったとするな らば、それは大多数の農民を平等社会へと導くはずであった。
しかしながら、商品化された物品が出現するにつれて、貨幣経済と結びつくだけに、次第に生産の多寡、そして製品の優劣、さらに生産技術の向上によって、ビジネスに才能を発揮する人間は富を蓄財していく一方で、窮乏生活を余儀なくされた、いわば格差社会を生み出す結果となった。
例えば、筑前国志摩の肥(コマ)公五百麿などは、米で、塩で、鉄で、そして綿、さらには交易などで利益を創出する傑出した商才の持ち主であったらしい。
以下で、各国に出現した富豪の富の集積を列挙しつつ、律令時代の富豪列伝を紹介する。
(1)土佐國安藝郡
『続日本紀』天平慶雲元年6月庚午条
庚子,紀伊國那賀郡大領-外正六位上-日置毘登-弟弓,稻一萬束,獻於當國國分寺。授外從五位下。土佐國安藝郡少領-外從六位下-凡直-伊賀麿,稻二萬束,牛六十頭,獻於西大寺。授外從五位上。
まず、承和5年には、綿1屯は直稲8束とある(『続日本後紀』承和5年9月己巳条)。