藤原朝臣乙麻呂は、天平勝宝2年10月1日(750年11月4日)太宰帥任
さて、乙麻呂は 藤原武智麻呂の3男。妻は橘諸兄の弟・橘佐為の4女・真都我(『尊卑分脈』)
*『続日本紀』《天平勝宝2年(750)3月庚子【12】》○庚子。~藤朝臣乙麻呂並為大宰少弐。」
⇒太宰帥は京に在住。大弐は欠員。大宰府の実質的な責任者は藤朝臣乙麻呂であった。
*『続日本紀』
「詔、授正五位上藤原朝臣乙麻呂従三位。任大宰帥。以八幡大神教也。」
⇒天平勝宝2年に乙麻呂は5階も昇進した上に、「太宰少弐から大宰帥」へ栄転。
それは宇佐八幡宮の神託であった(「教」)と考えたい。
なお、藤原朝臣蔵下麻呂の場合、天平宝字8年に従五位下から一気に従三位へ8階級昇進した。これは藤原朝臣仲麻呂軍との戦闘に勝利した軍功であったが、この昇叙の速さは目を引く。
ちなみに、上には上がいる。天平宝字8年9月に藤原朝臣仲麻呂の乱が終焉すると、実兄の道鏡が政治の中枢に進出するとともに、「親の七光」ならぬの兄の恩恵で弟弟の浄人は従八位上から15階級も昇進して、従四位下に任じられた。
昇叙階数
弓削御清朝臣浄人:15
石村村主石楯:14
牝鹿連嶋足:11
池田朝臣真枚:11
大津連大浦:10
中臣伊勢連老人:8
藤原朝臣蔵下麻呂:8
佐伯宿祢家継:8
紀朝臣船守:8
など
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