大宰府関連木簡考(1)
1)筑後国生葉郡煮塩年魚肆斗貳升/霊亀三年∥
⇒木研3-65頁-(22)(平城宮2-2287・城3-6上(77))
⇒平城宮造酒司地区(奈良県奈良市佐紀町)
⇒霊亀3年(717)、現在の「うきは市」付近
⇒生葉郡から献納された荷札。煮塩年魚(アユ)4斗2升の貢進札。『延喜内膳式』によると、調雑物(賦役令)、交易雑物(延喜民部式下)、中男作物(同主計式上)、年料贄(同内膳式)として近江・丹波・備中・土佐・大宰府等から貢進された。
⇒煮塩の鮎とあるので、 塩水で煮た後、乾燥させたもの。アユ料理には、鮨年魚(アユのなれずし)、火干年魚(焼いたアユを干し物)などもあった。
2)肥後国第三益城軍団養老七年兵士歴名帳・肥後国第三益城軍団養七年兵士歴名帳(軸木口)
⇒肥後国第三益城軍団の兵士リスト
⇒平城京壬生門東南面大垣出土
⇒この事実から、養老7年(723)時点で、中央政府は各国に配置された軍団の兵士リストを保持して、軍事力動員に備えていたといえよう。
⇒木研42-181頁-(7)(大宰府木簡概報1-12・日本古代木簡選)
⇒年代未詳
⇒「魏徴時務策」を書写した習書である。唐太宗の重臣魏徴が著した時務策の模範文例集であり、大宰府における漢籍受容の実態を示す。
0 件のコメント:
コメントを投稿