天平勝宝2年9月己酉(24)に発令された遣唐使は、
大使:従四位下 藤原朝臣清河
副使:従五位下大伴宿祢古麻呂
であったが、天平勝宝3年11月丙戌(7)に
副使:従四位上 吉備朝臣真備
が追加で発令された。
今、副使大伴宿祢古麻呂のいわゆる朝賀の席次問題は割愛するが、
*東大寺の学匠宗性上人編『日本高僧伝要文鈔』第3に引用する唐僧思託の『延暦僧録』巻3にある「勝宝感神聖武皇帝菩薩伝」
を指摘するにとどめておきたい。
さて、一行は天宝12載6月頃に長安を出発し、帰国の途に就く。蘇州で日本行きの船に乗船したのは、天宝12載10月23日(『唐大和上東征伝』)。遣唐使船の第2船に乗船した大伴宿祢古麻呂は、鑑真、そしてその弟子思託ら24人を率いて、天平勝宝5年11月16日に出港。
同月21日、阿児奈波島(沖縄)に到着、その後、多禰島(種子島)を経由して、12月20日に薩摩国に到着。
大宰府到着は天平勝宝6年正月12日、その日に大伴古麻呂は鑑真到着の報を朝廷に送付。
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