*城に盈ち郭に溢るる幾くの梅花ぞ
とある「郭」こそ、都府楼が左郭、右郭に分かれていた周囲を取り囲む垣があったからこそ、この歌が成立したらしい。」
と指摘した。
佐藤信氏の整理によると、
「大宰府をとりまく史跡群としては、 大宰府跡・大宰府学校院跡・観世音寺境内及び子院跡・筑前国分寺跡・国分瓦窯跡・ 塔原塔跡、大野城跡・水城跡・基肄城跡・阿志岐山城跡・宝満山・牛頸須恵器窯跡・ 鴻臚館跡・怡土城跡 などがあり、
付随する官司や生産遺跡として、次のような施設も知られる。 不庁地区(官衙群跡)・来木地区(官営工房群)・月山東地区(官衙跡)、筑前国府 跡(国分松本遺跡)、筑前国分尼寺跡、大宰府条坊跡(「朱雀大路」など)、主船司 ・主厨司・警固所
大宰府を取り囲んでネットワークを組む広域の史跡・遺跡群としては、 古代朝鮮式山城跡・神籠石系山城跡・烽(とぶひ)・地方官衙遺跡(国府・郡家)・瓦 窯跡(老司瓦窯跡など)・土器窯跡(牛頸須恵器窯跡など)・宮ノ本遺跡(買地券出 土火葬墓)・前畑遺跡(土塁「羅城」カ) などがあり、
寺院・神社では、 観世音寺・戒壇院・筑前国分寺・筑前国分尼寺・般若寺跡・塔原塔跡・竈門山寺 太宰府天満宮(安楽寺)・宝満山・天拝山 などが知られる。また、大宰府をめぐる交通路関係遺跡として、山陽道跡・西海道跡・古 代官道跡(水城東門・西門から博多湾に向かう二本の直線官道、西海道など)、駅家跡、 なども指摘できる。」
20230816 佐藤信先生 大宰府機構の成立とその変遷 レジメ.pdf (sitekitt.com)
とある。
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石松好雄編1984『日本の美術 大宰府跡』至文堂
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井上忠・渡辺正気編1993『恩師長沼賢海先生の思い出』
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