あおによし寧楽のみやこは咲く花のにほふがごとく今さかりなり(328番歌)
[原文]青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
[題詞]<大>宰少貳小野老朝臣歌一首
[原文]青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
奈良の市中が「あおによし」、つまり「青」と「丹(に)」の色彩で覆われていたと言わんばかりである。今の韓国の宮殿・寺社の壁や柱、窓などに見る「丹青(タンジョン)」を思い浮かべると良いだろう。
とはいえ、この歌の作者、当時、小野朝臣老は太宰少弐に任じられ、太宰府に在住しており、奈良とは遠く離れた「西の京」にいた。天平2年(730)ごろのことである。小野朝臣老は太宰府で在官中に天平9年(738)6月の死去したので、奈良の実景を呼んだとするならば、天平2年以前であった。
ところで、小野老が眼前の太宰府の景色を「あおによし」と詠まずして、遠く離れた奈良への望郷の念に思い起こすときの歌語に活用した理由は、眼前の太宰府には「あおによし」の色とりどりの甍や壁などが存在しなかったからであろう。
ところで、小野老が眼前の太宰府の景色を「あおによし」と詠まずして、遠く離れた奈良への望郷の念に思い起こすときの歌語に活用した理由は、眼前の太宰府には「あおによし」の色とりどりの甍や壁などが存在しなかったからであろう。
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