平安時代になると、太宰帥に任命されるのは親王であった。したがって、権帥や大弐などが太宰府に赴任するのみで、親王は京都にとどまった。
一方、奈良時代では、大宝2年(702)8月16日の石上麻呂から延暦5年(786)4月11日の佐伯今毛人まで21人の太宰帥が任命された。親王ではなく、臣下であったために、彼らの太宰府への赴任は当然であった。
親王任官の初例は大同元年(806)5月9日の伊予親王であった。官職名は中務卿兼太宰帥。
問題は、「太宰員外帥」と「権帥」とが同一視されていくことである。つまり左遷・懲戒などで流配された者たちを「員外帥」と呼称するが、菅原道真などは「権帥」とも「員外帥」とも呼ばれている。つまり、いつの間にか「権帥」に左遷・懲戒による流配などの意味を帯び始めたことに他ならない。
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