大伴旅人は神亀4年(727)12月頃に太宰帥として着任したが(五味智英説)、その時に旅人は64才の高齢であった。したがって梅花の宴を開催した天平2年(730年)春正月に旅人は67才であった。この年の秋には大納言に任じられ、大宰府を離れ京に帰京する。
現存する旅人の作歌は70首ほどであるが、大宰帥以前の歌が2首、大納言として大宰府を離れてからは7首であるに過ぎないので、言わば文人旅人は大宰府時代であった。
(1)世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり (巻五・七九三)
(2)還(かへ)るべく時は成りけり京師(みやこ)にて誰(た)がたもとをかわが枕(まくら)かむ (巻三・四三九)
(3)京師(みやこ)なる荒れたる家にひとり宿(ね)ば旅に益(まさ)りて苦しかるべし (同・四四〇)
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