2025年4月2日水曜日

平城京の大路が混雑する理由は

 今津勝紀「税の貢進」『日本古代の交通・交流・情報』(1)所収(特に、74-75頁)に教わった点が、下記である。

それは地方から平城京へ上る貢納使たちの人数である。今津氏によると、当時の平城京を10万人(鬼頭清明説)だとすれば、

*たえず3000人から5000人

の地方から上京する一時的流入者が存在したと推定している。

これは着眼点の鋭い、すぐれた指摘である。


なお、今津氏の指摘を踏まえて追加すれば、

1,馬や牛

2,荷車(荷駄)

3,俵や木箱などの輸送ツール

4,木簡類

など地方からの輸送用備品も溢れていたと考えられる。

いずれにせよ今津氏の試論は今後の検証を俟つが、私見ではもう少し詳細に四度使や僧侶などの実態を見れば、その数は増加すると考えている。。