2016年7月6日水曜日

五卿と大宰府

文久3年(1863)8月18日の政治的クーデター(公武合体派の勝利)で京都を追放された尊攘派公卿7名は長州萩に辿り着いた。その間の詳細は著名であるので、省略に努める。結局、元治元年(1864)7月の蛤御門の戦いで勝利した幕府は、5卿を福岡・久留米・佐賀・熊本・鹿児島の5藩が預かることで、それぞれ向った。しかしながら幕府は五卿を大宰府に幽閉した。
 五卿は慶応元年(1865)1月15日に長州三田尻の福浦を出発した。その日に轟灘を渡り、若松港に到着し、そこから黒田藩差向の船に乗り換えて、申の刻に黒崎に辿り着いた。出迎えたのは、黒田藩家老の久野四郎兵衛。五卿に同行した長州藩家老柳沢備後・同家老迫田伊勢之助らも、黒崎の御茶屋(本陣)に宿した(現在、御茶屋石碑が立つ場所からJR九州黒崎駅付近の鉄路を挟んだ両側)。

五卿は輿に乗り、黒田藩の藩兵が輿の前後を守護して、行進した。1月18日寅の刻、黒崎を出発し、木屋瀬で昼食、そして赤間駅に到着し、その場の通称赤間御茶屋に宿泊した。

以上、*『維新起源大宰府紀年編』(明治26年12月、東京博聞社・福岡盛岡書店)--九州大学図書館所蔵)からの紹介。

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五卿は元治2年(1865)2月に大宰府入りをし、慶応3年(1867)12月の王政復古後に帰京するまで、約3年間、大宰府に滞在した。

この間、大宰府と縁を持った勤王の志士には、
1,西郷隆盛
2,高杉晋作
3,大久保利通
4、桂小五郎
5,伊藤博文
6,坂本龍馬
らの幕末のスターがいた。例えば、坂本龍馬の場合、
*慶応元年(1865)5月23日~5月28日
に大宰府に滞在し、薩摩藩士渋谷彦介らの斡旋で三条実美に面談している。


<『長崎街道』42頁、前山俊治先生作成図>


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